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首里当蔵町時代

(首里博物館〜琉球政府立博物館)

 新館は1952年2月に着工されました(設計・仲座久雄、施工・田光組)。コの字型の建物は、壁を煉瓦とし、赤瓦葺でしたが、当時資材の入手は困難で、設計者の仲座氏とともに博物館職員は煉瓦など資材の調達に奔走することになります。資材調達の遅れや資金不足などから建設は大幅におくれていきました。しかし、ペルリ記念館の併設を理由に、米国民政府が博物館建設を援助したため、1953年の5月に竣工することができました。5月26日ペルリ記念館・首里博物館落成式が行われ、このとき「おもろさうし」等が返還されました。

 新しい博物館に移転しても、資料収集は継続されていきました。1954年8月には、ハワイから三線「江戸与那」が返還されました。これは元首里城内郷土博物館にあったもので、東恩納寛惇氏のすすめで返還されたものです。
 1955年5月5日原田館長が病気で死去、その後任として山里永吉館長が赴任しました。そして同年「琉球政府立博物館」と改称されました。1964年4月全国民芸協会大会が沖縄で催されるにあたって、全館を開放して特別民芸展を開催、本土から会員400人が来館しました。

■琉球政府立博物館の前で(浜田庄司と壷屋の陶工の記念撮影)

■琉球政府立博物館の前で(浜田庄司と壷屋の陶工の記念撮影)

■ペルリ記念館正面

■ペルリ記念館正面