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常設展(総合展示)

 常設展は、総合展示と専門分野ごとの部門展示からなり、沖縄の自然・歴史・文化を、「海洋性」と「島嶼性」という二つの側面から読み解いていきます。
古来より、沖縄の島々は海によってたがいに隔てられると同時に、海によってアジア、太平洋地域と深く結びつけられてきました。島には固有の自然があり、人々の営みがあり、そのひとつひとつが沖縄県の特徴ある自然・歴史・文化を形作っています。島に息づく豊かな自然と、島をとりまく海を媒介とした人々の営みを紹介するとともに、トー(唐:中国)とヤマト(日本)との間で花開いた琉球王朝文化、そして目まぐるしい世替わりを体験してきた沖縄の近代史と戦中、戦後史を射程に入れ、常設展のメインテーマを「海と島に生きる−豊かさ、美しさ、平和を求めて−」としました。

総合展示

 常設展へのアプローチでは、イノー(ラグーン)に広がるサンゴ礁を足元に見ながら、あたかも島に上陸するような感覚を体験することができます。そして正面のサークルホールでは、琉球列島の成り立ちと生物の進化をテーマとした映像とともに、1万8千年前の原始の沖縄に暮らした港川人とその時代の動物相の再現模型が展開します。これに続く総合展示では、「海で結ばれた人々」から「沖縄の今、そして未来へ」まで各テーマに沿って、沖縄の豊かな自然と海からの恵み、そしてそこにくらした先人たちの歴史・文化をたどっていきます。
 また、展示室中央に設けられた「シマの自然とくらし」のコーナーには、鹿児島から台湾まで東西1000キロ、南北400キロの海域に散在する琉球列島の大小の島々を壮観できる大型ジオラマを配置し、島々の特徴ある自然・歴史・文化を情報端末機を用いて紹介しています。また、人工衛星によって撮影された画像を用いて、島々を観察することができます。

■島の自然と暮らし

■島の自然と暮らし

プロローグ ニライカナイの彼方から

 常設展へのアプローチです。足下にサンゴ礁を見ながら、沖縄へ上陸するイメージを演出しています。

1 海で結ばれた人々
サークルホールの展示

 「化石の宝庫・沖縄」から発見された、さまざまな化石を展示しています。クジラやアンモナイトなど、原始の海にくらした生き物をはじめ、1万8千年前の日本人のルーツと目される「港川人」や、その頃に生きていたリュウキュウジカ、ヤンバルクイナなどの化石が、ステージ上に展開します。また、正面のスクリーンでは、古生代から現在に至るまでの琉球列島の地史を映像で概観し、沖縄の自然・歴史・文化の旅へと誘います。

■サークルホール

■サークルホール

古我地原貝塚模型

 うるま市石川で発見された古我地原貝塚の発掘調査にもとづき、縄文人の生活を復元しています。東側に海を望む台地上に、小さなグループで暮らしていた縄文人たちの竪穴式住居や、ゴミ捨て場である貝塚など、縄文人の生活をみることができます。

2 貝塚のムラから琉球王国へ

グスク時代になり、それぞれの地域に有力者が登場するようになると、防御などを目的とした、さまざまなグスクがつくられていきます。また、有力者たちは中国への朝貢を通して文化の移入や交易に努め、富が築かれていきました。各地の勢力は、やがて北山、中山、南山の3つに収斂し、激しい抗争を繰り広げます。これらの3つの勢力は、15世紀はじめまでに尚巴志によって統一され、琉球王国が築かれました。ここからおよそ500年の長きにわたり、首里を拠点とする王国の歴史がはじまります。

3 王国の繁栄

 琉球王国は独自の国家として成立しましたが、国内権力基盤の不安定さによって、第一尚氏から第二尚氏へ王統の交代が起こりました。この時代、中国との冊封・朝貢貿易を確立していた琉球は、中国・日本・東南アジアをつなぐ中継貿易を行います。東アジアの大海原の架け橋として船を操り、国際色豊かな産物が国中にあふれるさまを謳った旧首里城正殿鐘の銘文は、往事を偲ぶ貴重な資料です。ここでは、東アジア有数の貿易国家として繁栄したあと、より強固な国家体制がつくられた琉球王国の時代を紹介します。

■進貢船

■進貢船

4 薩摩の琉球支配と王国

 1609年、薩摩島津氏の侵攻によって琉球は江戸幕府の影響下に置かれましたが、中国との関係は引き続き維持されました。羽地朝秀、蔡温など政治家の強力なリーダシップによって、王国の経営が行われ、近世文化が創造されていきます。またこの時代、貝摺奉行所などによって優秀な工芸品が多くつくられるとともに、「中山世鑑」、「球陽」などの歴史資料が数多く著されました。

5 王国の衰亡

 中国・日本という両大国との関係を維持しながら、王国を維持してきた琉球ですが、19世紀に入ると矛盾が深まります。農村の疲弊や首里王府の財政難などが原因で、王国の経営は行き詰まりが顕著となりました。さらに、アジア進出を目指す欧米諸国の外圧が琉球に押し寄せ、王国は危機的な状況に陥ります。

6 沖縄の近代

 1879年、明治政府による琉球処分が行われ、最終的に王国は消滅し、近代国家の一部として沖縄県が誕生しました。しかし、しばらく旧慣温存の措置がなされ、社会の安定が図られます。その結果、土地整理による土地所有権の確立や国勢参加は大きく遅れ、資本主義の経済体制や教育制度も大正時代に入ってようやく整いました。一方、日本による太平洋戦争の進捗とともに、沖縄も戦争体制に組み込まれていきます。1945年、沖縄では住民を巻き込んだ日米両軍による地上戦が行われ、23万余りの尊い人命が失われました。焦土と化した沖縄では、多くの貴重な文化財も焼失し、破壊されました。

7 戦後の沖縄

沖縄戦によって大きな戦禍をこうむった沖縄。住民たちの生活はゼロからの出発でした。沖縄の施政権は日本からアメリカに移り、27年間のアメリカ統治に入ります。米国民政府は東アジアの戦略基地として沖縄を重要視する一方、沖縄の産業や福祉、教育文化の振興に努めました。基地の機能強化が進められるなか、住民への被害も続出したため、日本への復帰運動が起こりました。その結果、1972年に沖縄の施政権は日本へ返還されましたが、多くの基地が残されるなど、未解決の問題が山積したままでした。こういった状況を抱えながらも、現在の沖縄では平和を求め、「沖縄らしさ」を活かした活動が行われています。

エピローグ 沖縄の今、そして未来へ

 復帰後、沖縄の自然はさまざまな開発によって大きく姿を変えました。めざましい社会の変化によって沖縄が大きく変貌をとげる中、2000年には各国首脳がこの地に集い、九州・沖縄サミットが開催されました。同じ年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産に登録されるなど、今日では沖縄文化の優位性は世界に認知されるようになっています。これに伴って、沖縄を訪れる観光客や沖縄への移住者は大幅に増加し、沖縄は新たな時代をむかえようとしています。
 エピローグ「沖縄の現代生活」は、県民に応募いただいた作品で構成された、まさに「現代沖縄の生活」のドキュメント資料です。

■未来

■沖縄の今、そして未来へ