1. 沖縄の複十字シールの話

沖縄の複十字シールの話

最終更新日:2016.04.15

このマークでおなじみの複十字シールは公益財団法人結核予防会が、結核予防を目的に世界的に行われている運動一貫で世界80カ国で発行しているシールです。結核予防対策の活動のため、複十字シールと引き換えに募金をおこない、それを使うことで結核予防思想の普及の一翼を担っていただくというものです。日本の複十字シールは1952年に作られ、以後毎年新しいデザインが生まれています。

その始まりは、1903年デンマークのコペンハーゲンの郵便局長アイナール・ホルバルトさんが「デンマークの子供たちを結核から守ってやりたい」という思いから、クリスマスシーズンに大量に送られてくるクリスマスカードや郵便物を見て、「あの郵便物に国民一人一人がシールを貼ることを奨励すれば、募金が集まり小児結核のベッドを新設できる」と考え、友人や新聞社、雑誌社などに協力を呼びかけたと云われています。

一方、アメリカでもデンマークから送られた便りに貼られた「結核予防シール」を見て感激し、アメリカでもぜひ発行すべきだと、新聞や雑誌で呼びかけられているのを目にしたエミリービッセルさんが自身の従兄が経営している施療結核療養所が経営難に陥り、そこに入院している患者を救うため、自らデザインし、1907年に発行しました。

沖縄における複十字シールの発行は、日本の複十字シール発行と同じ1952年 でした。当時はアメリカの施政権下におかれ、結核の蔓延が重要視される中、1952年米国陸軍軍医のペスケラー博士が来琉、沖縄の結核対策法を提唱しました。

その後、財団法人琉球結核予防会が設立され、その活動資金は、ペスケラー博士と米国民政府のキング大佐との尽力により予防シールが発行され、それに当てられるようになりました。その制作は、アメリカ結核予防クリスマスシール60万枚を無償で譲り受け、「琉球」の二文字を印刷、琉球結核予防クリスマスシール」運動としてマスコミ等活用し、普及啓もう運動に努めました。翌1953年からは琉球結核予防会で独自のデザインをして発行、1971年まで続けられました。合計20枚のシールが発行され、沖縄を代表するニシムイの画家である安谷屋正義、山元恵一、玉那覇正吉、大城皓也や大嶺政寛などがそのデザインを手掛けています。

主任学芸員 石垣忍

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