博物館の戦争展示

最終更新日:2010.06.24

6月23日は「慰霊の日」。 毎年、沖縄では半世紀以上前の戦争で亡くなった戦没者の冥福と世界の恒久平和を願い、 各地で慰霊祭が行われ、マスコミが特集を組み、学校では平和教育が行われます。 (※6月23日は沖縄守備軍の牛島満司令官の自決により、組織的抵抗が終了した日で、 実際には戦闘はそれ以後も続き、米軍が沖縄作戦の終了を宣言したのは7月2日で、日本軍が公式に降伏文書に調印したのは9月7日である。)

当館を訪れると、戦争関連資料の展示がそれほど多くなく、イメージと少し違うなと感じる方がいるかもしれません。これには理由があって、一つには当館が歴史だけではなく自然や文化を含めた総合博物館であり、各分野のバランスを取る必要があること、歴史に関しても先史時代から現代までをあつかうために限られたスペースで展示を行わなければならないことなどがあげられます。もう一つは、沖縄戦に特化した県平和祈念資料館やひめゆり平和祈念資料館が糸満市にあるので、同じような展示にするよりも文化財の破壊・焼失などを通して戦争被害を伝える方針を採ったことによります。その中で被害を受けた文化財の一つを紹介します。

『致和』扁額は第二尚氏の開祖である尚円王が即位前に住んでいた内間御殿に掲げられていた扁額です。扁額というのは門戸や室内などに掲げる横に長い額で、看板みたいなものです。「致和」の文字を書いたのは第二尚氏13代王の尚敬王ということもあり、由緒正しい文化財といえます。しかし、この扁額は沖縄戦で米軍に接収され、トイレの用材として穴が開けられてしまいました(このバチ当たりめが!!)。その後、この扁額は当館に収蔵され展示されています。右の写真3だと、ちょっとわかりにくいかもしれませんが上下逆に無造作に展示されてるように見えます。これについて観覧者の方からおしかりを受けることが度々ありますが、戦争は貴重な文化財をも破壊すること、2度と戦争のない世の中になって欲しいとの思いを込めてあえてこのような展示にしていることを説明して理解していただいています。

沖縄の博物館にとって戦争の展示は避けて通れないものですが、その方法は各館によって特徴があるのです。

 
  • 写真1.「忍び寄る戦争」のコーナー

    写真1.「忍び寄る戦争」のコーナー

  • 写真2.「沖縄戦の住民被害」のコーナー

    写真2.「沖縄戦の住民被害」のコーナー

  • 写真3.「失われた文化財」のコーナー

    写真3.「失われた文化財」のコーナー

  • 写真4. 『致和』扁額の正面画像

    写真4. 『致和』扁額の正面画像

主任学芸員 岸本 弘人

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