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「御絵図」って何ですか? −その役割と魅力−

 

写真1.模型 貢納布検査

写真2.調文(.手形)

写真3.御絵図(絵形)

写真4. 御絵図(格子 経絣 緯絣)

写真5. 御絵図(経緯絣)

写真6. 御絵図(経緯絣 緯絣)

写真は、博物館総合展示の貢納布製作模型の一部です。男性が帳面を手にして何か書いています。 手前には、布を畳む女性達がいます。そうです、この模型の場面は、貢納布の検査の様子です。
この男性は、さしずめ、八重山嶋の蔵元の役人でしょうか。彼の膝元に目を移して下さい。 そこに置かれた帳面には、絵図が何枚か貼られています。 実は、今回の話しの主役は、この役人ではなく、この絵図です。 さて、この絵図はいったい何でしょうか。


御絵図ってどんなもの?

当博物館には、このような絵図が105枚あります。 一枚物で、バラになっているもの、調文と記された注文書といっしょに帳面に貼られたもの、 折本状に修理したものがあります。 黄色、水色、茶色に地染めされた和紙に赤、青緑、茶、青、白、黒などの顔料で絣や縞模様が描かれています。 これらの絵図は「御絵図(みえず)」と呼ばれています。


御絵図の目的と役割は?

「御絵図」は、琉球王国時代、上様(国王)、聞得大君、摂政、諸士などが貢納布(御用布) を織らせるために作成されたデザイン画のことです。依頼主が注文のために使う「カタログ」と、 久米島、宮古島、八重山に送られた「仕様書」の役割があります。 絵図が作成された目的や使われ方などは、ある程度わかっていますが、いつ頃から絵図があったのか、 誰が描いたのか、このデザインは誰の発案なのか、詳細は分かっていません。


何故「御絵図(みえず)」と呼ばれているの?

史料には注文帳の「手形」に対して「絵形」と書かれています。 手形、絵形をまとめて「御本」と示される事もあります。 ではなぜ、「御絵図」と書いて「みえず」と呼ばれているでしょうか。 昭和14年(1939)に、尚家に残る絵図を調査した田中俊雄さんが、絵図を貼った冊子の表紙にあった、 「御絵図帳」という名称を論文のタイトルとしました。そこから、この名前が定着しました。



御絵図の研究

御絵図について、最初に世に紹介したのは、鎌倉芳太郎さんです。 大正14年、(財)啓明会第十五回講演の際に、「琉球美術工芸に就きて」の演題で、「 繪型(イカタ)」の存在を報告しています。 琉球の絣と同様に御絵図は、多くの研究者達を魅了しました。 民藝の田中さんや岡村吉右衛門さん始め、琉球大学の大城志津子さん、 沖縄県立芸術大学の御絵図研究会などが、御絵図を探求しています。 ただ、大きな弊害は、第二次大戦です。戦前にあったと思われる御絵図には焼失したものもあります。 御絵図を補足する手形も写しを含めて12枚が残るのみです。戦後、バラになって散ったものもあります。 当館の御絵図の一部はそのようなものではないかと思われます。


絣の謎を解く鍵を握る御絵図

 琉球王国時代の絣は、世界のなかでも高い評価を得ています。

しかし、それを解明するための織物は殆ど残っていません。 そこで、その絣文化を支えた御絵図の研究が大きな鍵を握っているのです。 最も技巧的に優れ、美しいとされる総絣(ムルドゥッチリ)は、格子縞を崩すことからスタートし、 経糸と緯糸がクロスする絣へと転化し、最後に緯ずらしの絣が現れたのではないかとする 仮説も御絵図の研究から生まれました。

また、絵図にはあるが、織物には残っていない図柄もあり、 織りやすく効果的な図柄が最終的に残ったのではないかと思われます。


 民藝の田中さんは、琉球の絣について、「爽やかで涼しいと」日本の系統に属しながら、 南方系の要素を持ち、世界で一番美しいと述べています。 御絵図からは、大和と中国、南方と行き来しながら、暮らしてきた琉球の人々の美意識が 色濃くみえてくるのです。

 

 

 

 

 

主任学芸員 與那嶺一子

 

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